ウィズコロナ社会の危うさ


 無観客試合は、英語では「マッチ・ビハインド・クローズド・ドアーズ」と言います。まさに、閉ざされた扉の向こうの試合と呼ばれているのです。  

 6月10日、コロナ禍対策として閉じられていた扉が久しぶりに開かれることになりました。プロ野球とJリーグは今後、イベントの開催制限緩和の政府方針に沿って最大5000人まで観客を入れた試合が行われます。  

 ジェット風船の禁止や手メガホン、大声の声援禁止などファンの応援も、「新ノーマル」でということになります。  

 しかし、折しも東京での新型コロナウイルスの感染者は連日最多記録を更新し、感染拡大の懸念がさらに広がっています。  

 今の感染者模様は、若年層が多く重症者の少ない現状です。だが、半数近くは感染経路が不明です。  

 余裕があるといわれる医療現場からも、こうした現状から先行きの逼迫への不安の声が上がっています。  

 しかし、行政から聞こえてくるのは依然として〝夜の街対策〟の一点張りです。  

 事前のシナリオ通りに進められる感染防止規制の緩和がチグハグに見えるのも当然で、かえって行政への不信感が募っています。  

 医療体制に強化や行政のリスクコミュニケーションは、ウィズコロナ社会の経済再生の大前提のはずです。  

 しかし、こんな有様では心もとないかぎりです。これまで、行政は閉じた扉の向こういったい何をやっていたのでしょう。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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