お盆の帰省に迷うコロナ禍の今年
お盆の帰省の時期が間近です。帰省の本来の意味は郷里に帰り、父母の安否を伺うことです。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」
これは、望郷の詩句として名高い室生犀星の作品です。
ただ、遠方にあって故郷を思う歌ではなく、犀星が郷里の金沢に帰省したときに作られたものといいます。
東京で思うに任せない暮らしを強いられ、懐かしい郷里に帰省しても温かく受け入れてもらえない〝悲哀〟を詩句にしたものです。
郷里への愛憎半ばする思いが、「遠きにありて」の言葉となったようです。
かように、郷里とは複雑な思いを呼び起こす場所でもあります。
コロナ禍に見舞われている今年のお盆は帰省して父母に合い、旧友と親交を深めるのか、それとも遠きにありて思うのか、その思いが千々に乱れる人も少なくないでしょう。
コロナ禍で、高齢の父母や縁者の感染・重症化のリスクを初めに考えるのは当然です。感染が広がると、すぐに危機に陥る地方の医療事情も気に止めなければなりません。
しかし、帰省の是非について政府の見解は要領を得ず、判断の基準に迷ってしまいます。
安倍政権は高齢者への感染を懸念するコロナ担当の閣僚と、Go Toトラベルを推進する官房長官とで足並みが乱れています。
結果的に、安倍政権の姿勢は専門家の提言を受けての国民各自の判断に任せるものなっています。
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