責任者の顔が見えない愚策の連発


 江戸時代の伊勢参りの集団「おかげ参り」は、何度か発生した大規模なものになると1度に何百万という人数に達したといいます。  

 その一行は、こう歌い踊りながら歩いていたといいます。 

「おかげでさ するりとな ぬけたとさ」  

 親やや主人に無断で抜け出した子どもや奉公人の「抜け参り」も実際、少なくなかったそうです。  着の身着のままで抜け出した人々は、まず施行を受ける印となる「ひしゃく」を与えられ、食物や路銀、寝場所などを道筋の家々から施されて伊勢へ向かいました。  

 勝海舟の父親である小吉は、少年時代に家出しています。その際、ひしゃくを持って家々を回り、1日で米麦5升と120文の銭を施されたと記しています。 「Go Toトラベル」は、本来なら何百万人もの旅需要を喚起した「おかげ参り」にあやかりたかったはずです。  

 しかし、コロナ禍の感染拡大局面での繰り上げ実施はいかにも無理押しというもので、批判を浴びたあげくの支離滅裂となっています。  

 せっぱ詰まって打ち出した「東京の除外」「キャンセル料補償」などの方策も、ことごとく混乱に混乱を加えています。  

 不思議なのは、こうした二転三転する方針がどこで誰の責任で決まったのかさっぱりわからないことでしょう。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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