清潔にする行為は穢れを払う意識の表れ


 江戸時代の歳末の煤払いは、新年の年神を迎える儀礼でした。その慣行は今も、過去の災厄を拭い去って福が来ることを願う年末の大掃除として受け継がれています。  

 外国の要人が江戸にやって来る際は、町人が道を掃き清める習慣もありました。  

 そうした人々の意識は、来客に備え玄関前を掃除する「門掃き」に継承されています。昔から清潔にするという行為には「新たな未来を迎えるきっかけになる」と信じられてきたところがあり、状況をリセットする働きがあったようです。  

 コロナ禍対策で医師たちが呼びかけている手洗いの徹底にも、感染拡大への不安が広がる重苦しさを切り替える意味があるのでしょう。地味な方法ですが、一人ひとりが励行する効果は大きいはずです。  

 日々の暮らしを衛生的にすることは、苦境に区切りをつけて再スタートを切るための日本人の知恵でもあります。今が、その実践のときであることは間違いありません。  

 清潔にする行為は、「穢れを祓う」という意識の表れです。不浄で災難をもたらす穢れは、強い伝染力があるとされてきました。それを退散させる「祓い」という儀礼が定着したのは、社会の安定が損なわれることへの恐れからでしょう。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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