コロナ過でも、その日暮らしの日本人
作家の永井荷風は、いつも世間の人々の話に聞き耳を立て膨大な記述の「断腸亭日乗」を書いていました。とりわけ戦時下の作品になると、町の噂や見聞録がたくさん出てきます。
徹底した情報統制の時代に、彼は時代のリアルな雰囲気を市井から嗅ぎ取ろうとしていたのでしょう。軍人の横暴ぶりに呆れ、本音と建前との落差を嘆き、楽観的に戦局を見ている日本人を描いています。この作品のハイライトともいえるものが、この時期の世相観察でした。
一方、昨今のコロナ禍も荷風ばりに構えると世間のさまざまなボヤキが耳に残ります。不要不急の外出自粛となった週末の首都で、聞こえてくるのはこんなボヤキでした。
「スーパーにコメがない。納豆もない」
「今が一番大事な時期なら、学校再開は危なくないの?」
「五輪延期を決めたときから感染者数が増えたような気がする」
「新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして五輪を開くというが、これってもともと震災復興五輪じゃなかったの?」
政治家の挙措を冷ややかに眺めながら、指図はほどほどに受け入れ、感染を心配しながらもスーパーの混み合うレジに並ぶ庶民の姿がそこにあります。
令和2年の春は、荷風が書き残した風景と重なって見えます。皮肉屋の彼は、こうも書き残しています。
「日本人は理想というものを持たず、その日その日を気楽に送ることを第一と成すなり」
身も蓋もない指摘です。
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