リーダーの言葉が〝官製の標語〟では情けない


 米国の経済学者トーマス・シェリングの論文の一節に、こういうものがあります。

 「6歳の少女の命を救うには、高額の手術しかない。そう人々が知れば、善意の寄付が集まるだろう。だが、病院の施設が老朽化して、救えるはずの命が救えない危機が生じていると報道されても、涙を流して小切手帳に手を伸ばす人はそんなに多くないはずだ」  

 セリングは公共政策の分析にゲーム理論を応用して、ノーベル経済学賞を受賞しています。  

 少女は、〝顔が見える命〟です。一方、病院機能の低下で命の危険に晒されるのは、〝顔の見えない人々の命〟です。シェリングは、これを「統計上の命」と呼んで無関心を是正する方法を模索しています。  

 コロナ禍は、この問いに重なってきます。感染者と死者の数字は日々、更新されています。志村けんさんや岡江久美子さんなど著名人を除くと、その多くが顔が見えない統計上の命です。  

 ドイツのメルケル首相は、国民にこう呼びかけています。 

「これは単なる統計値ではありません。ある人の祖父、祖母、母、あるいはパートナーなど実際の人間が関わってくる話なのです」  

 シェリングの研究を発展させたのがシカゴ大学のリチャード・セイラー教授で、不合理な人間に強制をせず、より良い選択を促す「行動経済学」でノーベル経済学賞を受賞しています。  

 セイラー教授は安倍首相のように〝官製の標語〟を連呼するのではなく、動機づけの重要性を説いています。メルケル首相は遠回りのように見えますが、民主主義と愛を自分の言葉で語っています。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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