自分で人生の終い方を考える時代


 森鴎外の墓は東京都三鷹市の禅林寺にあり。向かい合うように太宰治の墓が立っています。これは、鴎外の文学を愛した太宰の希望によるものだといいます。  

 一方、作曲家モーツァルトはウィーン郊外の共同墓地に無造作に埋葬されたと伝えられています。妻は立ち会わず、正確な埋葬場所は特定されていません。歴史上の著名人でも、埋葬のされ方は古今東西さまざまです。  

 日本でも今、墓地事情が大きく変わりつつあります。たとえば愛知県の住人が、関東に住む親戚から「東京の墓をどうするか」と相談を受けました。墓には愛知県の住人の親兄弟が眠っていますが、墓の面倒を見てきた親戚の父親が高齢となって管理ができなくなりました。  

 愛知県の住人は、地元の愛知に自分たちの墓を確保していました。東京の墓の後継者はいなくなり、永代供養されることになりました。ただ、知人の子どもたちは東京で暮らしているため、愛知の墓は一代限りになる可能性もあります。  

 核家族化が進み、独り暮らしも増えています。墓石を立てず、木々の近くに埋葬する樹木葬、遺骨を海などにまく散骨など選択肢は広がっています。  人生は、決断の連続です。人生の終い方についても、どうするのか考えなければならない時代です。  

 コロナ禍の今、誰もがライフスタイルにおける価値観の変容を求められています。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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