鉄は国家なりの時代は終わった
「鉄は国家なり」という言葉は、19世紀にドイツを武力で統一した宰相ビスマルクの演説に由来するといいます。当時、鉄は大砲や鉄道に欠かせない国力の源泉でした。官営八幡製鉄所は、明治政府がドイツを範として今の北九州市に建設したものです。
50年前の1970年、その流れをくむ八幡製鉄が富士製鉄と合併して新日本製鉄が発足しました。日本初の売上高1兆円企業が誕生し、「世紀の大合併」と騒がれました。確かに当時、高度経済成長を牽引する「鉄は国家なり」の時代でした。
しかし、世界遺産にもなった八幡製鉄所は来月、他の製鉄所と統合されて名称が消えます。新日鉄の後身の日本製鉄による合理化の一貫で、広島県の呉製鉄所が閉鎖、和歌山製鉄所のシンボルである高炉の休止が決まりました。中国の攻勢にさらされてきた昔日の面影は、今はほとんど薄れています。
政府は、今後の日本を支える産業としてネットで集めた大量のデータを分析しビジネスなどに生かす人工知能(AI)を中核にしたいようです。安倍晋三首相も、「データは成長のエンジン」と強調しています。
だが、効率的なAIが発達すると、その分、職が失われる心配があります。「鉄は国家」と呼ばれたのも、製鉄所が各地で多くの雇用を生み出し地域を支えたからです。コロナ不況が深まるなか、今回の合理化による打撃を心配する声は尽きません。
時代に応じた産業の変化が避けられないとするなら、痛みを和らげるのは政治の役割でしょう。19世紀ドイツの急速な工業化に伴う貧困対策として、近代的な社会保障制度を世界で最初につくったのは意外にもビスマルクだったのです。
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