心愛ちゃんの人生を儚いものにした父親の鬼畜ぶり

 江戸期の禅僧、沢庵和尚は儚い今生をこう詠んでいます。 

「たらちねに よばれて仮の 客に来て こころのこさず かえる故郷」  

 たらちね、つまり父、母に呼ばれて訪れたこの世の客なら、人は心残りなしに去るのがいいということでしょう。また、短い一時なればこそ大切に楽しく生きようとも読める歌です。  

 招かれたこの世で、招いた親に虐げられて露にも満たない生を心残りとともに終えなければならなかった子どもたちを思うとき、歌は痛切な悲しみを帯びてきます。  

 千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さんの虐待死事件で、傷害致死などの罪に問われた父親に千葉地裁は懲役16年の判決を言い渡しました。父親は裁判で暴行の多くを否定し、娘が学校に訴えていた暴力について〝嘘〟だったとも主張していました。 

「未来のあなたを見たいです。あきらめないで」  

 心愛さんは亡くなる数ヶ月前、自分に宛てた手紙にそう書いていたといいます。その心残りと無念は、いかばかりだったのでしょう。  

 俳人の小林一茶は、幼い娘を疫病で亡くしています。 「露の世は 露の世ながら さりながら」   詠んだ命は儚いからこそ、こんな無念があってはならないという思いが伝わってきます。 

 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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