時代遅れの高級官僚が守りたいものは貧素で悲しい
日本の現在の官僚制は、戦前からの権威主義的体質を引き継いでいます。福沢諭吉の「強圧抑制(下位への抑圧)」という言葉は、その構造的特徴を指摘しています。
推理小説家の松本清張は、作品「点と線」でアリバイ崩しの傑作ミステリーを書いています。これは戦後の社会派推理小説の誕生を宣言する作品で、男女の情死体の謎を追いながら権力悪の犠牲となる官庁の課長補佐の死を描いています。
清張はその後も官庁の小官僚が巨悪の捨て駒にされる作品群で、このジャンルを確立します。当時、汚職事件の捜査が実務を担っている中間管理職の自殺でうやむやになるケースが相次いでいました。
しかし、森友問題で財務省の公文書改竄が発覚した直後に自殺した近畿財務局の赤木俊夫さんの遺書や手記は、それが決して過去の話ではなかったのを示すものです。
「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」
そこには、改竄に抵抗したのに作業を強いられた苦衷が記されています。改竄指示の元が当時の理財局長・佐川宣寿氏だったと明記し、財務省幹部の国会答弁は「嘘に嘘を重ねる」ものと指弾しています。遺族は赤木さんが改ざんの苦痛と過労でうつ病を発症し、自殺に追い込まれたとして国と佐川氏を提訴しました。
法に根ざした合理主義は、近代の官僚の矜持の源泉です。それを守ろうとする現場を組み伏せてまで、佐川氏ら高級官僚が守ろうとしたのはいったい何だったのでしょう。
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