児童虐待の闇は〝虐待者〟の幼児性が生み出す

 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に、有名な台詞が出てきます。無垢な子どもたちが苦しみを味わう意味を、次男のイワンが三男のアリョーシャに問いかけます。 

「ひとつ答えてくれ? なぜ子どもたちは苦しまなくちゃならなかったのか」  

 イワンは、この問いに自ら答えて神の教えを受け入れないと語ります。聖職者の道を歩むアリョーシャは、それを「反逆」と呼びます。  

 いかにもキリスト教徒らしいやりとりですが、イワンが突きつける問いには誰もが居たたまれない気持ちを覚えることでしょう。  

 児童虐待で子どもたちの悲惨を目にしたとき、「なぜだ」という思いが湧いてきます。ただ、誰もが「児童虐待の闇は〝虐待者〟の幼児性が生み出している」ということを薄々わかっています。

 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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