スピリチュアルの本質

  スピリチュアルは英語で精神的な、霊的な、精霊のという意味の形容詞。霊的なとなると、どうしてもオカルト的、宗教的なイメージを抱きがちです。ただ、霊的なといってもオカルト的、宗教的ではなく、宇宙や地球、大自然と強くリンクしているといったイメージのほうがスピリチュアルの本質に近いでしょう。

 スピリチュアルと聞いて身構えたり、怖がったりする必要はありません。むしろスピリチュアルな感覚になると気持ちが落ち着き、心が快適になるとされています。 スピリチュアルな現象は言葉や文字で表現することが難しく、心や体、スピリット(魂)で感じることがほとんどです。それは視覚や聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に、魂の働きを加えた六感すべてで感じ取る「目に見えない世界」の「人智を超えた感覚」とでも言えるものでしょう。

 スピリチュアルな感覚の役割は、いろいろと絡み合った意識を解きほぐして本当の自分を見つけ出すことです。そうした「気づき」によって、自分が生きている意味や目的を発見することです。自分なりに幸せを見つけ、それを維持していくには本当の自分を知っておくことが欠かせません。ありのままの自分を知ろうとする一連の行為と、そこから癒しが得られるということがスピリチュアルの本質です。  

 誰にでも、必ずやってくる自分の死に対する恐怖心があるはず。たとえば末期ガンの患者のなかには、迫りくる死の恐怖で錯乱状態になる人もいるといいます。病気や貧困に苦しんでいる人で、そこから逃れたくて自ら命を断つ人もいます。そこには、人は体の死によって無に帰するという唯物的な考え方があります。

 その点、スピリチュアルの世界では人の本質は霊魂にあると考えます。その霊魂は人が誕生するのと同時に体に宿り、人の死とともに体から離れて霊的な世界に戻って永遠に生き続けるという考え方です。動物や植物などに宿る霊魂も、人の霊魂と同様に神とも呼ばれる大霊(グレート・スピリット)の下に存在しているととらえています。  

 人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。しかし、スピリチュアルな世界では「独りぼっちで生まれ、独りぼっちで死んでいく人はいない」とされています。なぜなら、いつも見守ってくれる霊的な存在が寄り添っていると見なしているからです。それは、守護霊や背後霊。守護霊は人が生まれる前から一緒にいて、ともに現世を生きて死後も温かく見守ってくれているとされています。  

 誰でも日ごろ何かに生かされ、守られていると感じるときがあるでしょう。そうした見えない存在に守られているという思いもスピリチュアル。守る存在としては神、霊、天使、守護霊、ガイドスピリットなどいろいろあります。だからスピリチュアルな世界では、だれでも守護霊に見守られているという安心感を抱きながら精一杯に生きていけばいいと考えられているのです。

 その世界を訪れることは、自分探しの旅に出かけるようなものです。そして旅では、スピリチュアルな感覚が心を成長させて幸せへと誘ってくれるのです。  

 スピリチュアルな感覚での体験は日常のなかに隠れていて、ひょんなことから体験することも少なくないとされています。そうした体験をしたあと、何とも言えないスピリチュアルな感覚が残るのです。 

  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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