軍の暴走が生んだ悲劇の記憶を消すな

 さて、シビリアンコントロール――・  

 1970年11月25日、陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込んだ三島由紀夫はバルコニーに立ってこう叫んで煽りました。 

「諸君のなかに、一人でも俺と一緒に起つやつはいないのか?諸君は、シビリアンコントロールに毒されている」  

 眼下には1000人の隊員がいましたが、誰も反応しないどころか、演説はヤジでかき消されています。  

 三島はこう言い残し、割腹自殺を遂げました。 

「それでも武士か。それでも武士か」  

 事件は内外に衝撃を与えましたが、アジられた自衛隊員が冷ややかに騒動をやり過ごしたのは作家の誤算だったかもしれません。なぜなら旧軍の記憶はすでに遠く、徹底した文民統制(シビリアンコントロール)の時代を迎えていたからです。  

 日本はまだ、軍の暴走が悲劇を生んだ歴史を強く記憶しています。

  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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