吉田松陰の学ぶ姿勢
幕末、吉田松陰の松下村塾に2人の若者が入門してきました。
「謹んで、ご教授をお願いいたします」
その際、松陰はこう返したといいます。
「教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう」
この逸話は、「人はみな対等である」という松陰の考えが表れたものでしょう。
松陰は日ごろから討論を重視し、師弟や塾生同士が活発に議論して鍛え合うことに力を入れていました。何よりも考える力を求め、坩堝のなかで融け合うような活気あふれる教学の場を目指していたのでしょう。
幕末、吉田松陰の松下村塾に2人の若者が入門してきました。
「謹んで、ご教授をお願いいたします」
その際、松陰はこう返したといいます。
「教え授けることはできません。君らとともに学んでいきましょう」
この逸話は、「人はみな対等である」という松陰の考えが表れたものでしょう。
松陰は日ごろから討論を重視し、師弟や塾生同士が活発に議論して鍛え合うことに力を入れていました。何よりも考える力を求め、坩堝のなかで融け合うような活気あふれる教学の場を目指していたのでしょう。
八丁堀のオッサン
八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。
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