空想の中だけでも実在の人間として認めてほしい
人生とは、誠に不条理なものです。ドフトエフスキーやサルトル、カミュ、安部公房などの作家は、それを作品のテーマとしていました。
神戸児童連続殺傷事件を起こした少年「酒鬼薔薇聖斗」は、学校や社会で「透明な存在」であることを自覚していた。だから、せめて周りの人に「空想の中だけでも実在の人間として認めてほしい」と訴えかけようとしていたのです。
誰もが自分がどこへ向かっているのかわからなくなると、同時に「自分が誰なのか?」ということもわからなくなる恐れがあるのです。
その「わからない自分」を生きていると、色々なことが不条理な事象として振りかかってくるから厄介なのです。
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