みんなが誰かの〝孤独担当〟になる

 英国では、約6500万人の国民のうち900万人以上の人が日常的に孤独を感じているといいます。疎外感に苛まれていると、やがて健康まで損ないかねません。そこでメイ首相は昨年、孤独対策を担う新たな閣僚ポストを新設しました。これを担当するのは、その名も「孤独担当大臣」です。   やや突飛に思える発想やネーミングに驚きますが、日本の状況はどうなっているのでしょうか?  日本では「孤独死」という言葉はすっかり定着していますが、病気や生活苦などをきっかけにした社会からの孤立がマスコミで報じられています。痛ましい火事のニュースを聞くと、身寄りのない高齢者が入居する先での悲劇が目立ちます。  

 そして、孤独が忍び寄るのは独居や高齢者にかぎりません。子育てに悩み疲れた母親、家にも学校にも居場所のない子どもたち、大切な人と離別した人もいます。  

 哲学者の三木清は、著書「人生論ノート」でこう記しています。  

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」

 今の日本には、そうした光景があちこちに広がっています。  

 孤独が人と人の間に生まれるなら、それを解消するカギも人と人の間にあるはずです。顔を合わせると挨拶をし、困っているようだったら声をかけてみる姿勢も大切でしょう。それだけで、孤独な人の心理模様が少し和らぐかもしれません。  

 孤独対策は、何も政治家だけの仕事ではないはずです。気づいたときにちょっとずつ、みんなが誰かの「孤独担当」になれればいいのです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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