誰もが覚える〝西郷隆盛の鬱憤〟

 さて、西郷隆盛の鬱憤――。  

 明治維新の英雄にも、放言はありました。明治の初め、日本に不利な条約の改正などをめざして米欧に大久保利通や伊藤博文らの使節が派遣された際、これを横浜港で見送った西郷隆盛は東京へ戻る途中、同行していた板垣退助にこう言ったといいます。 

「今日、出航した船が沈んだら誠に愉快」  

 大久保らと、留守を預かることになった西郷らは盟約書を結んでいました。使節団の帰国まで、なるべく新しい政策は行わないなどの中身だったといいます。新政府の中枢が欠け、しかも手足を縛られた鬱憤がきわどい言葉の動機だったのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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