霞が関のエリートは〝無謬神話〟に呪縛されている

 さて、大いなる「勘違い」――。  

 霞が関の官僚に共通するのは、エリート幻想に立脚した「無謬(むびゅう)神話です。

 「THE BEST AND THE BRIGHTEST(最良で最も賢い)」  

 彼らは、そう思い込んでいるのです。 したがって、「私が間違いを犯すはずがない」という勘違いに繋がるのです。「財務省の福田次官(辞任予定)は、セクハラ問題で追及されてもこう思っているはずです。 

「私がセクハラの加害者だなんて、あり得ない」  

 ところで、週刊新潮の記事を読むと、彼は〝不思議〟な言動を繰り返しています。取材者である女性記者の質問に答えながら、同時並行的に、取材の文脈とはまったく無関係なセクハラ発言を繰り返しているのです。要するに、セクハラ発言だけを繰り返しているのでもなく、取材への対応だけをしているわけでもありません。  

 この点だけに注視すると、まるで「マルチタスクに応えるコンピュータのOS」みたいに機能しています。 思うに、彼は事務次官という官僚機構のトップに就いていることからも想像できるように、本来は頭が良く、仕事もできるはずです。  

 おそらく彼の脳はスケベな思考のためのスレッドと、仕事用の思考のスレッドを別々に立て、その両方をまったく相互に支障なく両立させることができているはずです。 だからこそ、助平な彼と有能な彼という別々の人格を同時並行的に機能させることができるのです。  

 そして、複合的な人格として腹話術的に振る舞うことが可能だったのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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