無差別殺傷「殺す相手は誰でもよかった」にも「明確」な動機はある

 6月9日に発生した新幹線車内での〝無差別殺傷事件〟は10年前の2008年6月8日、日曜日の秋葉原の歩行者天国で起こった「秋葉原連続殺傷事件」を思い起こさせました。  

 犯人の小島一朗容疑者(22歳)は逮捕後、こう供述しているといいます。  

「殺意を持って人を刺したことは間違いない」  

「むしゃくしゃしてやった。(襲う相手は)誰でもよかった」  

 秋葉原連続殺傷事件の犯人、加藤智大死刑囚(犯行当時25歳)も似たような心境で事件当日、ネットの掲示板でこう宣言していました。 

<秋葉原で人を殺します>  

 そして鬱積した欲求不満や怒りを爆発させるかのように、無差別殺傷事件に突っ走っていきます。 長年に渡って偏った思考や歪んだ劣等感、嫉妬心に苛まれ、同時に「俺は本当ならこんなところにいる人間ではない」といった屈折したプライドを持ち続けていたのです。  

 復讐の本当の対象は、自分に契約解除という仕打ちをした派遣会社、相手にしてくれなった女性、自分を無視したネット住民などだったはずです。  

 これが最終的に特定の相手から無差別の多数へ、特定の集団から社会全体へと広がっていったのです。  

 したがって、「動機なき連続殺傷殺人」ではなく、社会全体に復讐するという明確な動機があったのです。  

 人は長い期間に渡って劣等感や嫉妬心に苛まれ続けていると、いつ何時、溜まりに溜まった欲求不満や苛立ち、怒りが「絶望」という名の「将来性の喪失」を引き金にして暴発してしまうということです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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