アルコール、薬物依存症も患っていたうつ病患者、中島らも

 小説家や劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャンなど多彩な肩書があった中島らもさんは、三O歳でうつ病を発症しました。

 四O歳で死の淵に立ち、四二歳で躁転になるなど心の病と戦いながら生きていました。躁転とは、うつ病が寛解状態から急に躁状態になること。寛解とは、病気の症状が改善した状態のこと。  

 中島さんの場合、うつ病と同時にアルコール依存症や薬物依存症を患っていました。大麻の吸引で一度、逮捕されたこともあります。  

 それでも小説や芝居などで、面白いギャグを連発していました。こうした凄まじい生き様は、多くのファンに生きる希望を与えています。  

 二OO四年七月、神戸市内で行われていた知人のライブに飛び入り参加しました。終演後、知人と酒を酌み交わして別れた後、未明に飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打しています。  

 脳挫傷による外傷性脳内血種のため神戸市内の病院に入院し、手術を受けても脳への重篤なダメージによって深刻な状態が続き、自発呼吸さえできない状態に陥りました。  

 その後、意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき人工呼吸器が停止されたのです。享年五二歳でした。    

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

0コメント

  • 1000 / 1000