ダンスはうまく踊れない

 2010年、取材で女優の高樹澪さんと会った。  

 彼女はテレビドラマ『スチュワーデス物語』『ウルトラマンティガ』などにも出演し、楽曲『ダンスはうまく踊れない』が80万枚も売れています。  

 ある日、彼女は女優の命ともいえる顔の半分が痙攣し始めていることに気づきました。これを悟られないために、いつも何かを凝視するように眼を見開いて表情を作っていたといいます。  

 この何の予兆もなく襲ってくる痙攣は日を追うごとに頻度を増し、やがて寝ているときでも彼女を襲ってくるようになりました。  

 その時期、彼女は結婚生活がうまくいかず、精神的にも追い詰められ、心がズタズタになっていました。結婚生活では我慢の連続で、夫のためにやったことが相手には可愛げなく見えたり、良かれと思ってしたことが逆効果だったりと、すべてがチグハグだったといいます。  

 いつも夫の顔色をうかがい、感情を押し殺し、神経を尖らせて生活していたのです。  

 やがて映画の撮影にも支障をきたすようになり、事務所の社長に「女優の仕事を辞めさせてください」と頼みました。  

 その電話を最後に、芸能界の表舞台から姿を消すことになりました。生きていくために会社の事務員やビルの清掃、飲食店のアルバイトなど、人に顔を見られずに済む職種を選びながら働いていたといいます。  

 2006年夏、脳神経外科で診てもらったところ「片側顔面痙攣」という病名を告げられました。脳の病気だったのです。  

 手術は、頭蓋骨を切り開くものでした。  

 彼女は麻酔を受けた手術から目覚めると、朦朧とした意識のなかでこう感じていました。  

「助かったんだ」 

 手術から2日後、鏡を見ると顔が痙攣していない自分が映っていました。その時、まるで「旧友に再会したような気分」だったといいます。  

 2010年、取材で女優の高樹澪さんと会った。  

 彼女はテレビドラマ『スチュワーデス物語』『ウルトラマンティガ』などにも出演し、楽曲『ダンスはうまく踊れない』が80万枚も売れています。  

 ある日、彼女は女優の命ともいえる顔の半分が痙攣し始めていることに気づきました。これを悟られないために、いつも何かを凝視するように眼を見開いて表情を作っていたといいます。  

 この何の予兆もなく襲ってくる痙攣は日を追うごとに頻度を増し、やがて寝ているときでも彼女を襲ってくるようになりました。  

 その時期、彼女は結婚生活がうまくいかず、精神的にも追い詰められ、心がズタズタになっていました。結婚生活では我慢の連続で、夫のためにやったことが相手には可愛げなく見えたり、良かれと思ってしたことが逆効果だったりと、すべてがチグハグだったといいます。  

 いつも夫の顔色をうかがい、感情を押し殺し、神経を尖らせて生活していたのです。  

 やがて映画の撮影にも支障をきたすようになり、事務所の社長に「女優の仕事を辞めさせてください」と頼みました。  

 その電話を最後に、芸能界の表舞台から姿を消すことになりました。生きていくために会社の事務員やビルの清掃、飲食店のアルバイトなど、人に顔を見られずに済む職種を選びながら働いていたといいます。  

 2006年夏、脳神経外科で診てもらったところ「片側顔面痙攣」という病名を告げられました。脳の病気だったのです。  

 手術は、頭蓋骨を切り開くものでした。  

 彼女は麻酔を受けた手術から目覚めると、朦朧とした意識のなかでこう感じていました。

「助かったんだ」  

 手術から2日後、鏡を見ると顔が痙攣していない自分が映っていました。その時、まるで「旧友に再会したような気分」だったといいます。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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