アイドル絶頂期に襲われた急性骨髄性白血病

 2010年の秋、ホリエージェンシーの会議室で取材のため女優の吉井怜さんと会いました。 

 彼女は高校を卒業した直後、急性骨髄性白血病を発症しています。  

 両親は、医師から本当の病名を告げられていました。一方、彼女は「骨髄の造血不全症からくる再生不良性貧血」と説明を受けています。  

 同時に、長期入院の必要性を告げられました。入院後、オシャレも化粧もできず、髪も薬の服用で抜け落ちていったといいます。  

 隔離された無菌室では、看病に訪れた母親との会話もガラス越しでした。やがて無菌室に閉じ込められていることが耐えがたくなり、孤独感が高まり、閉塞感が募っていきました。  

 本当の病名を告げられた夜、テレビの速報ニュースで「Kー1選手のアンディ・フグが急性骨髄性白血病で亡くなった」ことが流れています。  

 これは、吉井さんの病名と一緒でした。  

 彼女は一時的に退院しましたが、その後の治療として、医師から2つの治療法を提示されています。そのひとつが、骨髄を移植するというものでした。  

 彼女は母親とHLA(白血球の型)が一致し、それは数万分の一という確率でした。  

 そんな折、母親が過労で倒れています。彼女が兄から見せられた母親の日記には、こう書かれていました。

 

「娘の怜がロケ先で倒れたと聞く。本当に心臓が止まるかと思った」 

「白血病!?どうしてあの子が!?」 

「代われるものなら代わってやりたい。私の命で助かるのなら、私の命を持って行ってください」  


 吉井さんは子どもが産めなくなるのが怖くて、なかなか骨髄移植を受ける決断ができませんでした。しかし、母親の骨髄とHLAが一致したということで神様が「生きる道をもう一度用意してくれたのかもしれない」という思いになりました。  

 そして心の葛藤を繰り返した結果、骨髄移植を受けることを決めたのです。  

 手術前、母親が残したメモにはこう書かれていました。 


「明日から一つ屋根の下。よろしくね」 

 

 母親も娘に提供する骨髄を抽出するため、同じ病院に入院することになっていました。  

 骨髄移植が始まり、吉井さんは点滴の管を通して母親の骨髄が自分の腕に注入されるのを見ていると、母親が体のなかで見守ってくれているような気がしたといいます。  

 抗がん剤の投与と放射線照射の副作用で、手術後11日間の記憶がぽっかりと抜け落ちていました。髪の毛も抜け落ち、シャワーの水と一緒に流れ落ちていくというあり様でした。  

 彼女は抜け落ちた髪を病室のごみ箱に捨てていましたが、それを見るのが辛かったといいます。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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