母国語は人生観、世界観を形づくっている

 日本の企業や社会の安易な「英語化」に対して、母国語で考えることが大事だという視点から警鐘を鳴らした本があります。 

『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社)――。 

 著者で九州大学大学院准教授の施光恒さんは、こう指摘しています。 

「深く思考して新しいものをつくり出す作業は母国語が適している。ひらめきや違和感を、言語化するところから始まるからだ。そこは外国語ではできない。日本人のノーベル賞受賞が相次いでいるのは、まさに日本語教育の集大成といえる」  

 母国語の日本語で考えることこそ、創造性の源泉だというのです。そして、政府や企業が推し進めている「英語化」の政策や方針が持てはやされている現状を深く憂慮しています。  

 そもそも母国語は、あなたの個性や知性、人生観、世界観などの基礎を形づくっています。  

 たとえば日本語なら、一人称でも私、俺、小生などいろいろな言い方があります。相手を呼ぶ場合でも、あなた、君、お前、先生、部長などさまざまです。  

 このように、日本人の大半は相手との関係性を考慮に入れて会話をしています。それが相互に思いやる文化を培ってきたのです。  

 その点、英語の一人称は常に「I」で、二人称にしても「You」だけです。つまり、英語を母国語とする人は最初から天動説的なところがあり、あくまで自分が会話の中心にいるのです。  

 一方、日本語を母国語とする人は相手を思いやる知性や感性を知らず知らずの間に育んでいるというわけです。 

 だから日本語で考えることを疎かにしていると、日本語で基礎作りがなされている個性や知性、人生観、世界観の中心軸がブレてしまいがちになるのです。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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