父と娘の和解

 肝臓がんを発症したC氏(当時54)は、一部上場企業の本部長というエリート。4年前にがんの外科手術を受け、2年前に再発して主治医から「余命1年」と宣告されています。  

 末期の肝臓がん患者は肉体的にも精神的にもダメージが大きく、生きていることが辛いと感じる人も少なくありません。  

 C氏も例外ではなく、激しい痛みと治療の副作用で全身の倦怠感に苦しんでいます。完治の見込みもなく「痛みさえなくなれば」という思いで、最終的にホスピス治療を選んでいます。  

 ホスピスとは、末期がん患者に対して緩和治療や終末期医療を行うための行う施設のこと。  

 C氏は、妻との間の20代前半の一人娘がいました。その娘が、父親の見舞いにきていませんでした。  

 主治医は、C氏と娘との間に何らかのわだかまりがあると感じていました。C氏の余命が3カ月と見られたころ、それを娘に伝えています。  

 それでも娘は、なかなか父親の病室に姿を現しません。  

 C氏は当時、魂の痛みを主治医にこうを告白しています。 

「仕事一筋で、サラリーマンとしては成功したかもしれません。ただ、人生の最期を迎えようとしているのに、関係がギクシャクしている娘には拒絶されたままです。私の人生って、いったい何だったのでしょう」 

「手助けできることはないですか」 

「何とか娘に謝罪して死にたいのです」  

 そこで、主治医は娘と連絡を取っています。 

「あなたの父様は、あなたに謝ってから死にたいと言っておられます。一度でいいから見舞いにきて、父親の最後の願いをかなえてくれませんか」  

 数日後、娘が父親の病室を訪れています。C氏は、娘の目を見て謝罪します。 

「おとうさんを許してほしい」 

「お父さん、もういいから」  

 それから2か月後、C氏は穏やかな表情で妻と娘に見守られながら旅立っています。娘と和解できたことで、スピリチュアルペインが和らげられていたのです。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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