イジメが子どもの自由な発想を殺す

 子どもは、自由に発想する心を持っています。  

  人が「おもしろい」と思うことでも、「つまらない」と思うとサッサと他の場所へ姿を消してしまいます。  物事の本質をパッと直感で見抜く能力があり、それなりに判断基準も備わっています。自己中心的ですが、自分で「おもしろい」ことを生み出す能力もあります。   

 そうした自由な発想を殺しているのが、学校でのイジメです。  

 学校は、社会の縮図。そこで起こっているイジメは、同じことが一般社会で行われたとするなら立派な犯罪です。  

 少年によるイジメの大半は加害者の自分勝手な気分によって行われ、一方で被害者は出口のない地獄に追い込まれます。  

 ただ、イジメの発覚をもっとも恐れているのは被害者自身。なぜなら、だれかに明かすと受けているイジメがエスカレートする恐れがあるから。  

 イジメはゲスな犯罪なのに、加害者が少年という理由で逮捕されて刑罰を受けるケースは少ないというのが実態です。  

 加害者の多くは、日ごろ何らかの理由で鬱屈した生活を送りながら支配に直結する「権力」に飢えています。  

 とくに親から暴力も含めた「絶対権力」で支配されている子どもほど、そうした飢えがどんどん肥大化。そのプロセスで、イジメの手口を支配的な親の姿勢から徐々に学習していきます。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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