「こじらせ女子」は自分を生きていた

 ライターで、エッセイストの雨宮まみさん(40)は16年11月15日朝、自宅で亡くなっているところを発見されました。

  雨宮さんは、「こじらせ女子」という流行語の生みの親。生前、「こじらせた」自身の生きづらさと向き合う一方で、同じように苦しむ現代女性たちに対して「自分の人生を生きる」ことへのエールを送り続けていました。

 女性としての自意識や生きづらさを書いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)の著者として有名です。

 同エッセイは元々、ポット出版のサイト上で連載されたもので、当初は「セックスをこじらせて」というタイトルでした。連載時のプロフィールでは、「今もっとも〝イタ刺さる〟女子ライター」として紹介されていました。

 それまで主にAV(アダルトビデオ)ライターとして活躍していた雨宮さんは、なぜAVの世界へ足を踏み入れたのでしょうか? 

 著書によると、「スクールカースト」の最下層にいる自覚を持ちながら中学、高校、大学時代を過ごしています。そして、自分は「女性として価値がない」という自覚を持つようになったというのです。

 そうした自己認識から個性的なファッションに走ったり、バニーガールのアルバイトをしたりしていました。その時期、性的に「価値ある女」でありたいと「もがいていた」といいます。

 女性であることに自信が持てない自分と、性的に欲望の対象となる「女性」という存在に向けられる眼差しの狭間で必死に格闘していたのです。

 そんな人生の恥部をさらけ出したエッセイだったからこそ、身に覚えがあると感じた多くの読者の心に突き刺さったのです。

 雨宮さんは、とにかく「女をこじらせて」いたからがAVの世界に深入りしていきました。AVに興味を持ったとき自分が「女である」ことに自信もなく、AV女優が「眩しくて堪らなかった」と告白しています。

 同じ女性でありながら男性に欲情されるアイコンのような存在のAV女優と、処女で男性に間違えられることもある見た目の自分。その隔たりは、堪え難いほど辛いものだったといいます。

 「こじらせ女子」という言葉は13年、「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネート。雨宮さんは、名付け親として脚光を浴びています。

 その後もエッセイを書き続け、現代社会を生きる女性の抱える悩みへとテーマを広げていきました。著書に『ずっと独身でいるつもり?』、『女の子よ銃を取れ』、『東京を生きる』などがあります。

 たとえば『ずっと独身でいるつもり?』では、こう書いています。

 「私は、『もう若くない独身女』ではなく、ただ私自身として生きたいです。それは、結婚している人も、子供を持っている人も、みんなそうであればいいと思うのです。立場で生きるのではなく、意志で生きることだけが、人生を輝かせるのだと、私は思っています」 

『女の子よ銃を取れ』では、こう述べています。

 「いつまでも若い人でいたいわけじゃない。もうババアですからと自虐をしたいわけじゃない。私は私でいたいだけ。私は、私のままで、どうしたら私の『40歳』になれるのだろうか。そしてどんな『40歳』が、私の理想の姿なのだろうか」

  周りから「女は美しくあるべきだ」という呪いのような圧力を受けながら、自分を生きていたのです。 

 自分の中にある「美しくなりたい」という気持ちについては、こう断言していました。

「半径10メートルぐらいの世界で『美しい』と認知されるようなせせこましいものではなく、もっと野蛮でめちゃくちゃな、方向性など定まらないような、そういうものであるように感じます」

 そして、こう言い切っていました。

「『美しくなりたい』と思う気持ちは、私の中では『自由になりたい』と、同義です。社会の圧力から、常識から、偏見から、自分の劣等感から、思い込みから、自由になりたい。いつでもどこでも、これが自分自身だと、全身でそう言いたい。『美しくなりたい』とは、私にとってはそういう気持ちです」 

 合掌! 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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