中卒でも大金持ち
韓国最大のモバイルゲーム会社「ネットマーブル」。
その創業者パン・ジュンヒョクは、アップルのスティーブ・ジョブスに例えられることもあります。二人とも一度は自ら立ち上げた会社を去りましたが、会社が危機に陥った際に復職して事業を復活させています。
ネットマーブルは現在、韓国オンラインゲーム市場で2位。
中卒のパンは47歳で、アジアを代表するビリオネア(総資産10億ドル)になったのです。高校中退で、英語も流暢に話せないといいます。
韓国のゲーム企業の創業者の大半は有名大学出身ですが、パンは例外。ソウル郊外の貧しい家庭に育ち、高校も中退しています。
パンは後に、こう語っています。
「記憶力ばかり問われる韓国の試験制度にはなじめなかった。高校を中退したのは、興味があることをもっと深く学びたかったから」
20世紀後半、映画が好きでオンライン映画サービスを立ち上げましたが、当時の韓国のネットは接続速度が遅く、わずか2年で会社をたたんでいます。
当時、韓国政府はアジア通貨危機を受け、長引く不況対策として情報技術の分野に力を入れ始めていました。
パンは2000年、投資家から得た8万8000ドルと8人の従業員で「ネットマーブル」を立ち上げました。女性や10代の若者を対象としたカジュアルゲームの提供を始めたのです。
事業モデルは、他企業が開発したゲームのマーケティング、配信、宣伝を含むサービスを請け負うというもの。そして「エビがクジラを飲み込む」ように、自社より大手の企業を買収していきました。
そうした買収が、韓国では最大級のコングロマリット「CJグループ」の目に留まったのです。CJグループは90年代に、サムスン帝国から離脱した組織。
パンは04年、CJグループのイ・ジェヒョン会長と会談。合併に合意し、ネットマーブルの名前は「CJ Internet Company」に変更されました。
しかし、急激なビジネス拡大には代償が伴いました。06年、健康上の理由からCEOを辞任し、経営をCJ側に任せることにしたのです。
その後、ゲーム産業から離れ、パッシブ投資家として株取引を行っていたといいます。ただ、事業への情熱は衰えていませんでした。
休業して3年目に入ると、新しいゲームビジネスを立ち上げる準備を始めています。その頃、CJに任せていた経営が頓挫し、「戻ってきてほしい」と言われたのです。
5年後、再び経営に戻るとモバイルに注力する方針を打ち出し、PCゲームからの撤退を決意しました。スマホが急速に普及する中で「これからスマホは単なる電話ではなくなる」と考えたからです。
ゲーム市場の競争は激しくなる一方で、モバイルのゲーム市場は飽和点を迎えようとしています。 パンは、こう語っています。
「アジアでの成功を超え、アメリカに挑戦したいと思っています。アメリカで成功できれば世界のどこに行っても勝てるからです」
成功するには、学歴は関係ないということ。
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