楽観主義者はあらゆる困難にチャンスを見つけ出す

 傍から見たら不幸そうに見えても、それを不幸だとは思っていない人がいます。それは楽観主義者――。

 イギリスの劇作家ジョージ・バーナード・ショーは、楽観主義者と悲観主義者の違いについてこう語っています。

「グラスに入っているワインを見て『ああ、もう半分しか残っていない』と嘆くのが悲観主義者。おっ、まだ半分も残っているじゃないか』と喜ぶのが楽観主義者である」 

 そして、こうも言っています。

「楽観主義者と悲観主義者は、ともに社会に貢献している。楽観主義者は飛行機を発明し、悲観主義者はパラシュートを作った」

 作家のオスカー・ワイルドは、ドーナツを例に挙げて2つの違いを述べています。

「楽観主義者は、ドーナツを見る。悲観主義者は、その穴を見る」

 発明家で実業家のトーマス・エジソンは、決して諦めない楽観主義者でした。

 電球の開発に取り組んだとき、うまくいかなかった試作品は一万個を超えています。それを知り、「失敗したのではない。うまくいかない方法を一万通り見つけただけだ」と豪語。最終的に竹のフィラメントに出会い、電球の開発に成功。

 これこそ、まさに楽観主義の極みと言えるでしょう。

 イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは、どんな逆境にも負けないで偉大な政治家として名を残しています。

「成功とは、失敗を重ねても熱意を失わない能力のことだ」

「悲観主義者はあらゆるチャンスに困難を見つけるが、楽観主義者はあらゆる困難にチャンスを見つけ出すのだ」

 楽観主義者は乗り越えられない壁はないという信念で、立ちはだかる困難のどこかに手がかりがあるのではないかとポジティブに考えるのです。

 ふつう楽観主義者は成功のほうに目が向きやすく、悲観主義者は失敗のほうに目が向きやすいとされています。

 前述したドーナツの例では、同じドーナツを見ているのに、どうして楽観主義者と悲観主義者の違いが出てくるのでしょうか?

 それは、どこに着目しているのかという視点の差異から生まれてきます。

 たとえば目の前のドーナツを食べようとするときドーナツの周りの部分に着目して「食べるところがある」と見るのか、それとも穴の部分に着目して「食べるところがない」と見るのかといった違いなのです。

 それは成功するか失敗するかという予測にしても同様で、何事も捉え方によって違った結果が出てきやすくなるということ。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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