大事なものを守り抜くために変わることを恐れない


 純米大吟醸酒の『獺祭(だっさい)』で有名な旭酒造の桜井博志社長は、いわゆる三代目です。

 桜井社長の著書『逆境経営~山奥の地酒「獺祭」を世界に届ける逆転発想法~』を読むと、桜井社長は先代の父親に勘当されてしばらく酒造りから離れていました。

 その父親が急逝した約30年前、旭酒造の三代目社長に就任。経営を受け継いだ当時、日本酒市場は1975年をピークに3分の1にまで縮小していました。しかも、山口県の山奥にある同社はそれを上回るペースで売り上げが急減していたのです。

 桜井社長は社長就任当初、日に何度も自分の死亡保険金を計算してしまうほど資金的に追い詰められています。ふたりの子どもの寝顔を見ながら、ほとんど眠れない日々が続いたといいます。

 死ぬか、生きるか――。

 桜井社長は、だったら「やれることをやろう」と思ったそうです。

 <目の前の常識をすべて疑い、新しい旭酒造に生まれ変わる> 

 そう心に決めて、酒造りの改革に着手。今、当時をこう振り返っています。

「変えるべきでない伝統は何がなんでも守り抜き、その一方で大事なものを守り抜くために変わることを恐れない」 

 それで、小さな酒蔵の小規模な仕込みでないと造れない純米大吟醸酒にターゲットを絞って『獺祭』を開発したのです。

 日本酒業界では、それまで製販分離が一般的。蔵元は営業だけを担当し、酒造りは現場の最高責任者である杜氏とその下で酒造りに携わっている蔵人に任せるという仕組みでした。

 桜井社長は、それを大胆に組み替えています。酒造りをできるかぎり数値化し、安定生産を目指して杜氏と蔵人に任せていた酒造りを社員だけで通年生産できる仕組みに変えたのです。それは杜氏制度の廃止を意味し、酒造りの常識を覆すような決断でした。

 勝負する市場も地元より大きい東京を中心とした全国市場を目指し、それで12年、純米大吟醸酒のマーケットでトップに躍進。海外市場の開拓も、すでに20か国を超えています。

 伝統産業にあっても改革を恐れず、型破りな経営改革を可能にして今や業界唯一の勝ち組ともいわれています。

 桜井社長は、これまでの歩みをこう振り返っています。

「打席に立たせてもらったからには、三振して無様に尻餅をつこうが、バットを振らなければならない」 

 そして心の体幹を鍛えながら、根本的に酒造りの仕組みを変えるという破壊的イノベーションに挑戦していったのです。

「もともと私は、気弱で重圧に弱い。しかし、酒蔵を継いでからは泣き言を言っていられなくなり、精神を鍛えられた。というより、〝社長を演じている〟と言ったほうが正しいかもしれない。そう思い込むことで、気弱になりそうな大仕事にも取り組める」 

 そうした姿勢は、多くの悩みを抱えている伝統産業や地方企業、ベンチャー企業なども学ぶべきところが多いはずです。 

 もちろん、個人も同様です。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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