保育園建設に反対する人のミーイズム

 子どもが騒ぐ声をめぐる保育園の騒音問題――。

 待機児童が社会問題となっている状況で、保育園の建設ラッシュが続いています。その開設に反対する人も、周りから「うるさい」と思われていた子ども時代があったはず。

 そもそも子どもって、迷惑な存在なのでしょうか? 

  子どもの声って、そんなにうるさいのでしょうか? 

 東京都中野区の住宅街の一角で15年、認可保育園が開園。お年寄りが多い静かな住宅地に、大勢の子どもが集まるようになりました。 

 近隣住民は、保育園の建設計画が決まった後、それを知らされています。その後、区による住民への説明会が4回に渡って実施されましたが、建設反対の住民との話し合いは平行線。保育園は、すべての住民の理解は得られないまま開園しているのです。 

 そうした保育園への苦情もあり、なかには保育のやり方を見直さざるをえないところも出てきています。

 都内の住宅地に新しくできた保育園では開園後、近隣住民からのクレームが多発。子どもの声がうるさいという苦情があったので、園庭での園児の遊び時間を厳しく制限しています。苦情が寄せられると、日中でも園児に園庭を利用させないのです。

 なかには園児の姿を見たくないといった苦情もあり、日中でも外から園児の姿が見えるところのカーテンを閉め切っているといいます。

  保育園と近隣住民との騒音トラブルは、園児に「大声を出させない」、「音の出る楽器を使わせない」といった自粛にも繋がります。

 そうした自主規制は、園児を伸び伸びと育てるどころかストレスを抱かせることになります。

 子どもにとって、大きな声を出して元気に遊ぶことは成長のプロセスでは欠かせないこと。子どもが悪いわけでもないのに、それをやらせないのは異質のものを認めない地域住民のミーイズムの成せる業です。

 そんなことをしていると、いずれ街中から子どもの姿が消えてしまいかねません。 

 かつて子どもは、地域社会の一員として大人を含めた地域住民の輪の中で暮らしていました。それが今、大人と分離された生活を強いられているのです。

 それでは、将来の地域を担い手が育たないでしょう。

 子どもの声がしない地域に、活気のある未来なんて期待できないはずです。保育園は、園児が地域の祭りに参加するなど地域住民に見守られながら育てられるところ。日ごろ、子どもが元気に遊ぶ姿を見るのは大人にとっても元気がもらえるはずなのです。

  ところが、今のニッポンでは、みんなで子どもを育てようとする気持ちもなく、なにかと権利だけを主張するミーイズムが蔓延しています。

 保育園建設をめぐる子どもの騒音問題は、地域住民での問題の共有化が欠かせません。それをみんなで話し合い、地域の将来を視野に入れておみこしのように担いでいくことが大切なのです。

 そうしたなかで、地域の将来図も見えてくるというもの。それなのに高齢者を中心とした地域住民がミーイズムに凝り固まって交じり合おうとしない地域社会の実態が、この問題を複雑にしているのです。

  だから今後、分断化されているものを再び紡ぎ合わせていくことが大切ではないでしょうか?

 保育園の騒音問題は、少子高齢化社会の問題でもあるのです。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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