LINE住民のイジメの構図

 若者の多くは、学校生活など日々の人間関係を管理するツールとしてネットを活用しています。

 たとえばLINEは、IDを交換することで知らない人とでも繋がることができます。そこにリアルではない人間関係が構築され、そうした人をLINE住民と呼ぶこともあります。

 LINE住民はバーチャルな人間関係に対して強いこだわりがあり、おたがい同じ心模様を抱えています。それは、みんなから仲間外れにされるのではないかという不安感。

 そのためネットへの接続を切断できず、LINE依存症になってしまうのです。

  LINEの既読表示は東日本大震災時の経験から、受信者が返事できない状況でもメッセージを読んだことを送信者がわかるようにするため考案された機能です。

 その機能があるばかりに、若者の多くは直ぐに返信しないと相手に悪いと思って不安を覚えてしまいます。つまり、LINEの利用者はバーチャルに「繋がっている」ことを確認しないと不安になるのです。

 ネットの広がりで今、人間関係の流動化が始まっています。

 新たに生まれてきたのが、まさに不安定さをともなった「軽やかな人間関係」。それはたやすく壊れやすいという特徴があり、人間関係をリアルに保証してくれるものではありません。

 なぜなら相手を簡単に「仲間から外す」という自由は、もちろん自分だけではなく相手にもあるからです。

 ザックリ言うと、おたがいに仲間であるというのは「そうあってほしい」という儚い思いの共有にしか過ぎません。だから、それを常に確認していないと不安でたまらないのです。

 ネットを介したバーチャルな人間関係は、おたがい断片的な情報を拠りどころとしながら期待されるキャラを演じ合いがちです。そこで得られる他者承認なんて、その程度のもの。

「軽やかな人間関係」では何らかの共通した目標や目的があると人間関係は安定しやすく、他者承認も得やすくなります。 

 人は、社会生活を送るなかで「だれかに認められたい」という感情を抱きます。そうした感情の総称が承認欲求。

 それには承認されたい対象によって、他人から認められたいという他者承認と自分の理想像と比べて今の自分に満足しているという基準での自己承認があります。

  軽やかな人間関係では、グループ間で仲間同士の分断化が進行するとメンバーのだれかがターゲットにされるイジメが起こることもあります。

 その際、イジメに遭っている人も、イジメている人も大いに不安を抱えています。

 とくにイジメる側に回っている人が気に欠けているのは、他のメンバーの反応。そこにイジメに遭っている人への思いやりなどなく、他のメンバーに承認されることに必死なのです。

 そうしたイジメがエスカレートしていくのは、被害者への攻撃衝動が高まるからではなく加害者グループの間での陳腐な承認争いの成れの果てに過ぎません。それでグループ内にかぎると、イジメに対する踏み絵の意識だけが強まっていくのです。

 そして、踏み絵を無慈悲に踏みたくない人がさらにイジメのターゲットになっていくという悲しい構図があります。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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