85年前の教訓を忘れるな


 1936年に起きた「二・二六事件」で、クーデターを企てた陸軍青年将校らの凶弾に倒れた閣僚のなかに国民的人気が高かった高橋是清蔵相がいました。

 首相を務めた後も「国家のために」と平大臣に就き、顎鬚を蓄えた丸顔と、淡々とした生きざまから「達磨さん」の名で親しまれていました。

 昭和金融恐慌や世界恐慌の混乱を、大胆な金融緩和と積極財政策で乗り切った立役者でもあります。

 7回も蔵相を務めた高橋だからこそ、「ニ・二六事件」当時の物価高騰をいち早く察知しています。

 歳出削減に向け、膨張した軍事予算の削減に動いた。不幸にも、それが軍の反感を買ったのです。

 高橋亡き後、増税を嫌う財界と、予算拡大を求める軍の意向に沿い、政府は金融緩和と積極財政策を続けています。

 もはや悪性のインフレは止められず、大戦へと向かう混乱に突入していくのです。

 現在、新型コロナウイルスによる経済危機を乗り切るために、日本も含めて世界中が金融緩和と積極財政策を競い合っています。

 厳しい生活を強いられる人がいる一方で、余剰資金が市場に流れ込み、日本や米国などでは株高基調が続いています。

 経済政策は、さじ加減ひとつで社会に狂気をも生み出すのです。

 85年前の事件が、その教訓として教えてくれています。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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