忘れてはならない山下飛び


 松下電器産業(現パナソニック)の3代目社長、山下俊彦さんは、記事や出版物を読むだけで魅力的な人柄だということがわかります。

 創業者、松下幸之助さんの教えを受けた最後の門下生だそうです。

 ご本人の弁では、いわゆる〝山下飛び〟とはこういうことだったといいます。

「26人いた取締役のうち25番目の平取だった」

 それが先輩をひょいと超えた人事は、体操競技の技にちなんで「山下跳び」と言われたのです。

 出世物語もさることながら、切れ味のいい発言が印象的な人物でした。

 たとえば、こういう発言があります。

「失敗を理論武装するやつはだめだ」

 言い訳をすぐに考えるような者は失敗を教訓にできないと、演出家浅利慶太さんとの対談で語っていました。

 山下語録に、こういうものもあります。

「30代、40代の人間が自由に発言できる企業に」

 霞が関の若手、中堅はコロナ禍対策、相次ぐ不祥事が引き続くなかでその進言を取り入れられる組織にしたかったはずでしょう。

 亡くなって9年、おかしいことはおかしいと直言した山下さんなら、今の日本の状況をどんな言葉で切るのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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