泡は弾けて泡と知る


 作詞家、阿久悠さんの詩に、こういうものがあります。

「夢は砕けて夢と知り 愛は破れて愛と知り」

 これは失って初めて、その何たるかを知るという意味合いを表したものでしょう。

 かつてのバブル経済も、確かに「泡ははじけて泡と知る」という苦い思いを多くの人に感じさせています。

 バブル経済」は90年の流行語で、1980年代後半の天井知らずの株価上昇に人々は浮かれていました。

 バブル崩壊は翌91年ですから、恐らくその直前になって誰もが「これはうたかたの夢だ」と気づいたのでしょう。

 振り返ると、イラクがクウェートに侵攻した90年8月2日を最後に平均株価の終値は3万円台を割り込みます。

 その後、「失われた20年」とも呼ばれる長い景気低迷をそのとき誰が予想できたでしょう。

 先日、日経平均株価の終値が実に30年半ぶりに3万円台を回復しています。

 しかし、コロナ禍の今、辺りを見回しても浮かれている人はいません。金融緩和で余ったカネが株式市場に流れていると聞くと、むしろ渋い顔になってしまいます。

 バブルが再来したかのような株価上昇に「熱」を上げている人がいる一方、身近な消費の「冷却」に苦しんでいる人や業界があります。

 この激しい寒暖差を埋めることなしに、景気の「回復」はありえないでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

0コメント

  • 1000 / 1000