子どもの情操を育むには大人の支えが欠かせない
明治5年(1872年)、渋沢栄一は路上生活者の施設東京市養育院を訪れ、その窮状に言葉を失ったといいます。
病人も一緒くたの鮨詰めの劣悪な環境、とくに無表情の孤児の姿に心を痛めています。子どもたちの居室を作らせ、職員には親のように接するように指示しています。
著者「雨夜譚」には、こう書かれています。
「家族的の親しみと楽しみと享けさするのが、最大幸福であると自信し、子供に親爺を与える工夫をした」
子どもの情操を育むには、大人の支えが欠かせないということでしょう。
その愛情も過剰に与えると、かえって子どもの成長を阻害するものです。見せかけの自立は親子双方のみならず、周囲のためにもなりません。
女性蔑視発言で辞任した森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会の後任として、橋本聖子五輪担当相が選ばれています。冬夏通算で、7度も五輪に出場したメダリストです。聖火への願いを名に持つ五輪の申し子が、重責を担うことになります。
気になるのは、同じ自民党の派閥で「父娘」のように親密な関係を築いた森元会長の影響力です。育ての親が口を出すようなことがあっては、人事刷新の意義も失われるでしょう。
近代日本の大実業家渋沢は、69歳で経営の第一線から退いて社会福祉事業に専念しています。500近い企業の立ち上げや経営に関わりながら、実権を握り続ける愚は犯さなかったのです。
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