暮らしの支えと万人の納得が善政の要諦
明暦の大火で急騰した米価を抑えるため、徳川家康の孫、保科正之が取った策は需給バランスの調整です。
江戸に参勤中の大名を帰国させ、他の藩主には参勤を免じています。江戸の人口の半数を占める武家を国に戻すと、食いぶちも減るという算段です。
当時47歳だった将軍の補弼役は「天に恥じない政治を」の信念の下、10万人以上が犠牲となった大火の対応にあたっています。
年貢米の放出や炊き出しに加え、家屋再建費として総額16万両の下賜を決めています。渋面を浮かべる閣老には、こう喝破したといいます。
「官庫の蓄えは士民を安堵させるためにある」
米の取引価格こそ規制したものの、実情に応じた補償や支援があるから町人や旗本御家人が従わない理由もありません。
米価が瞬く間に安定したのも、自然な帰結でしょう。
政府のコロナ対策として、改正特措法などが施行されます。刑事罰は削除されましたが、営業時間の短縮要請の拒否などは過料の対象となります。
当初案に比べると過料の額は減額されたといいますが、値引きセールでもないでしょう。
むろん、不公正な適用や恣意的な運用の懸念も拭えません。
気性の激しさで知られた和歌山藩主徳川頼宣は当初、保科の政策に対してこう気色ばんだといいます。
「非常時に参勤中止とは何ごとか」
しかし、需要を減らして窮民を救済するという明快な説明を聞いて手を打って感心したそうです。
暮らしの支えと万人の納得は、やはり善政の要諦でしょう。
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