2020東京五輪のレガシーって何?!


 市川崑総監督の記録映画「東京オリンピック」は完成後、政界から非難の声が上がっています。

「日の丸が揚がる場面が一つもない」

 そうした非難のなかには、「黒人を持ち上げすぎだ」というものもあったといいます。

 マラソンのアベベ選手や100メートル走のヘイズ選手が活躍した大会でしたが、気に入らない向きもあったということです。

 しかし、この映画は国内で空前の興行収入を記録し、国際的にも高い評価を得ています。

 よく五輪のレガシー(遺産)といいますが、前回の東京五輪は日本人が「世界」の多様性を初めて社会に受け入れた体験だったといえます。

 こうした五輪による「世界体験」は、世界の多様性との関わり方の作法を当時なりに日本社会に染み渡らせています。

 その点、2020東京五輪は何をレガシーにしようとしていたのでしょう。

 大会の公式サイトには、こう書かれています。

「成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく」

 その自称「成熟国家」の五輪組織委員会の森喜朗会長は、女性蔑視発言の責任を取る形で辞任しています。

 当初の続投表明は内外の世論やスポンサーの批判の集中砲火を浴び、今度は辞意を示しながら後任候補を自ら指名して世論の火に油を注いでしまっています。

 ここ1週間あまりのスッタモンダは、きしくも日本社会の女性の地位の旧態依然さや組織運営の不透明さを曝け出しています。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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