マスク着用の是非が浮き彫りにした自由社会の〝分断線〟


 人格を意味するラテン語の「ペルソナ」は、英語では「パーソン」という言葉に変化しています。

 もともと頭から被る仮面を指す言葉で、古くはイタリア半島のエトルリアで死者にかぶせるマスクをそう呼んでいたといいます。

 その後、ペルソナは俳優がつけて役柄を表す仮面を指すようになり、転じて人物や人格を表すようになっています。

 近代的な個人の人格もそんな伝統に根ざしているのですから、マスク着用をめぐる欧米のゴタゴタも根が深いのかもしれません。

 マスクの着用への賛否が選挙に影を落とした米国の大統領交代で、バイデン新大統領は就任後100日間にわたり連邦政府施設内などで国民のマスク着用を義務化します。

 これは、州をまたぐ旅行にも適用されるから画期的なものです。

 米国のコロナ禍による死者数は40万人を超えています。第2次世界大戦の米国の死者数が約42万人でしたから、それもあと何日かで超えかねません。

 こんな惨禍に遭っても、米国ではマスク着用拒否を自由の証しとみる人も少なくありません。

 マスク着用が日常的な日本でも、大学入試での鼻出し着用のトラブルや航空機内の着用拒否騒動が刑事事件となっています。

 ただ、バイデン政権が打ち出したマスク義務化ですが、州によっては有名無実となりそうだといいます。

 個々のマスク着用がおたがいの感染リスクを低下させるコロナ禍ですが、マスク着用の是非は自由社会の〝分断線〟を浮き彫りにしています。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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