世界が求めてきた「強さ」とは何だったのか?!


 1991年1月17日、戦争が初めてテレビで生中継されています。それは湾岸戦争で、イラクによって侵略、占領されたクウェートの解放をめぐる戦争でした。

 イラクは1990年8月、クウェートに侵攻して占領しています。

 国際連合による撤兵決議に応じなかったため、国際連合の決議によって編制された米国を中心とする多国籍軍が1991年1月、イラクに対して攻撃を開始し、2月末までにクウェート全土を解放しています。

 米国中心の多国籍軍は、巡航ミサイル100発以上を次々に発射しています。そんな映画のように戦争を見るという体験は、リアルな戦争観を変質させています。

 湾岸戦争は、様々な意味で現代史の転機となっています。

 翌1992年、米国の政治経済学者フランシス・フクヤマさんが民主主義と自由経済が勝利した米国一極支配の到来を説いた著書「歴史の終わり」がベストセラーとなっています。

 そこが、米国の絶頂期でした。

 フランシス・フクヤマさんは、後に「アメリカの終わり」、「政治の衰退」を書いています。

 10年後に米国の威信を傷つけた9・11米同時多発テロやイラク戦争は、湾岸戦争に起因するものです。

 敵の姿が見えない「テロとの戦い」で社会生活の監視、規制は日常に入り込み、まさにコロナ禍時代を先取りしていたかのようです。

 日本も、例外ではありません。自衛隊の海外派遣が始まり、日米同盟が強化されています。大国らしい政治体制につくり変えようと、小選挙区制導入で政治主導を推し進めています。

 安倍前政権が実現した集団的自衛権行使の容認や官邸1強体制は、「湾岸」以来の政治が追求してきた到達点だった言えるでしょう。

 ただ、

「強い政治」は国家の危機管理と安全保障を最重視してきたはずです。それなのに、現状はどうでしょう。

 軍事強国たらんと競ってきた国々は、最新兵器や同盟関係を携えながらコロナ禍の前では〝無力〟を晒すばかりです。

 そもそも感染症対策は人類史上、もっとも古い安全保障の課題だったはずです。そこを忘れて、湾岸戦争の後、世界が求めてきた「強さ」とは何だったのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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