見たくない事実は見るべき事実であることが多い


 古代ギリシャの神殿に、「身の程を知れ」といった意味合いの言葉が掲げられていました。哲学者ソクラテスは、それを文字どおりに理解しました。

「汝(なんじ)自身を知れ」

 この言葉は、ソクラレスのモットーになっています。

 古代ローマでは、この言葉が骸骨の絵に添えられていました。

 多くの貴族は、それを「やがて消える身」と理解して享楽的に生きる道を選んだといいます。

 まったく同じ言葉でも、受け取る意味は人や時代によって戒めにも歓楽の勧めにもなります。

 最近、そう思わせるニュースがありました。

 イスラエルの研究機関によると、人類がこれまでにつくったものの総量が1兆トンを超え、動植物などに由来するものを上回った可能性があるというのです。

 想像するのも難しい量ですが、ニューヨークの人工物は世界の魚の重さと同等になっているといいます。

 驚くのは、その速さです。100年で急激に増えた人工物は、20年後に生物由来の2倍になると予測されているのです。

 そうした地球への負荷は、素人目にも大変に思えます。

 環境も食糧や資源の供給も、「経済成長重視」が続く限り「破綻」が避けられないという主張があります。

 この研究は、それに説得力を与える研究成果に思えます。

 街のコンクリートや金属から、成長の成果ではなく戒めや警告を読み取るときが訪れているのでしょう。

 あまり見たくない事実は、往々にして見るべき事実なのです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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