〝検察世直し幻想〟の終わり
2020年は、検察とは何かが問われた年でした。
1月末の黒川弘務元東京高検検事長の定年延長閣議決定から始まって、12月の「桜を見る会」前夜祭をめぐる安倍晋三前首相の不起訴まで率直に言って失望の念を禁じ得ませんでした。
安倍首相(当時)は、黒川氏の定年延長について「法解釈を変えた」と一度は押し切っています。
問題が再燃したのは3月、後づけで定年延長規定を盛り込んだ検察庁法改正案が国会に提出されたからです。
これをめぐってネット世論に広がった怒りが、政府を成立断念に追い込んでいます。
怒りの矛先は人事で検察を抑えつける安倍政権(当時)のおごり、政権に侮られた検察のふがいなさの双方に向けられていました。
政権も検察もトップが代わりましたが、両者の関係はどこまで変わったのでしょう。検察は、「桜を見る会」の問題について安倍前首相の捜査を尽くしたと胸を張れるのでしょうか。
検察の栄光は、田中角栄元首相を逮捕したロッキード疑獄捜査の〝伝説〟に支えられてきました。ネット世論に呼応して法案反対の名乗りを上げた同疑獄の元担当検事たちが、「検察OBの反乱」と英雄視されたのが象徴的です。
国際ジャーナリストの春名幹男さんの近著「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」は、15年かけた米公文書発掘と取材を通じて他の2人の元首相を巨悪と名指ししています。
それを検察は知っていましたが、田中元首相その他の摘発で捜査を止めたと指摘されています。
世論もメディアも、政治腐敗はいつか検察が懲らしめてくれると甘えてきました。しかし、本当に政治を正せるのは結局、有権者しかいません。
昨年1年の経験は、〝検察世直し幻想〟の終わりを告げているのかもしれません。
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