年初、一握の砂を想う
日本の歌人で、詩人でもあった石川啄木は、人の世の儚さや自身の満たされぬ心を「砂」に例えています。
明治の晩期に異彩を放ち、26歳の若さで逝った啄木の第1歌集「一握の砂」は今でも版を重ねているといいます。
小説や詩を志しながら期待した評価は得られなかった啄木は多額の借金を抱え、職業や住居を転々としています。
そんな啄木の挫折感は、作品に深く投影されています。
「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」
年を取ってこの歌を読むと、より人の命の儚さを感じてしまいます。
一方、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」は52億キロの旅を経て地球に帰還させたカプセルのなかに小惑星「りゅうぐう」で採取した砂粒を〝どっさり〟と運び還り、使命を見事に果たしています。
その量は、約5・4グラムです。一握りにも満ちませんが、想定されていた0・1グラムを大きく上回ったといいます。
たかが砂ですが、宇宙の成り立ちや生命の起源の解明に繋がると期待も膨らみます。
型や岩手県の山村で生まれ育った啄木は、故郷への思慕を断ち切れなかったようです。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
コロナ禍で帰省もままならない今年、この一首にも改めて心を引かれます。
昨年は、啄木の「一握の砂」が発表された1910年から110年経っています。
「はやぶさ2」は地球に「玉手箱」を届け、再び宇宙探査の旅に出ています。
人の営みの過去と現在と未来は、不思議に繋がっています。年初、そんな感慨も覚えます。
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