対話は民主主義の土台
今の時代、産業に役立つ応用研究が重視され、基礎研究が軽視されています。
2015年6月、文部科学省が全国の国立大学に組織と業務の見直しを検討するよう通知しています。これに対して、大学会が人文社会系廃止と解釈し、「文系軽視!」と猛反発しています。
メディアは暴挙と報じ、文科省は「誤解です」と火消しに躍起になっています。
あれから5年、菅首相は日本学術会議の会員任命拒否の理由を明示せず、「支離滅裂」とも揶揄された説明を経て会議の在り方議論に雪崩れ込もうとしています。
任命拒否され6人は、憲法学や歴史学など人文社会科学系の学者ばかりです。先月末に国会であった抗議集会で、ある学者がこう訴えています。
「人文社会科学系こそ、政権や権力に自由に意見を言える」
だからこそ任命拒否したとすると、菅首相の度量はあまりにも小さ過ぎるといった感じです。菅首相は野党や学者、市民との対話を拒み、説明責任も果たさないという呆れた姿勢を取り続けています。
多様な知識と意見を持った人が対話することで、より良い判断が導かれます。この子どもでもわかる一般常識は、自然科学と人文社会科学の間ではとりわけ切実な重みを持っています。
米国の原爆開発をリードした物理学者オッペンハイマーは、こう述べています。
「物理学者は罪を知った」、
ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんは、この有名な言葉を受けて「科学には毒が含まれる」と語っています。
そして「毒」を弱め、副作用を抑えて「薬」とするために、多様な分野の学者や識者との協働の大切さを訴えています。
同じく同賞を受賞した湯川秀樹さんも、随筆にこう書いています。
「人文科学の助けをかりて、皆がもう少ししあわせになり、世の中ももっと平穏になるのではなかろうか」
こうして根づいた対話の伝統を踏まえ、日本学術会議が17年に公表したのが軍事研究に関する声明です。
「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行わない」
これが過去2度の声明を継承した声明で、菅首相による任命拒否の伏線ともされています。
対話は民主主義の土台です
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