大きなリスクを承知で〝僥倖の選択〟を求めている菅政権
毎年、12月8日がやってくると、日本人はなぜ当時でも国力で20倍と見積もられた米英との戦争に突入したのかという問いに思いをめぐらします。
最近では、その問いに行動経済学の考え方で説明する人もいます。
たとえば3000円を支払う選択Aと、8割の確率で4000円を支払うけれども2割の確率でタダになるという選択Bがあれば、リスクをともなう選択Bを選ぶ人が少なくないといいます。
当時の指導者たちも先の展望を失った心理で、大きなリスクを承知で僥倖を求めたのでしょう。
経済思想史家の牧野邦昭さんの「経済学者たちの日米開戦」を読むと、避戦のためには開戦リスクの大きさよりも避戦が必ずしも「損」にはならない展望が必要だったと指摘されています。
ただ、賭け金にされたのは途方もない数の国民の命だったということです。
この本には、当時のエリートだけではなく一般国民も日米の国力の差はよく知っていたと書かれています。
当時、政府は学校でも日米の国力の差をグラフで強調し、それを克服するのが大和魂だなどと教えていたといいます。
そう説いているのは、日本近代史家の加藤陽子さんです。加藤さんは、菅首相により日本学術会議への任命を拒まれた6人のうちの一人です。
加藤さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」によると、日米の国力の差はむしろ対外危機を扇動する材料とされたと述べられています。
当時、 国民には国力の差から政府や軍と別の選択肢を描き出す術はなく、日米開戦は日本政府の自縄自縛の結果でもあったのでしょう。
コロナ禍の今、菅政権は国民の感染リスクを軽視する冒険的な施策ばかり推し進めています。
それは、まさに79年前の12月8日、大きなリスクを承知で〝僥倖の選択〟を求めた政府(当時)の展望を失った心理を今も照らし出しているように映ってしまいます。
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