イデオロギーは事実をも見えなくしてしまう


 拉致被害者、横田めぐみさんの弟拓也さんは先日、福岡市が主催した「姉を帰せ!」と題した講演会でこう述べています。

 「かつて、日本人拉致なんかあるわけがないと言っていた人たちがいた。彼らは北朝鮮が拉致を認めた瞬間、逃げるかのように口を閉ざした」

 確かに、日本の政党や論壇は2002年の日朝首脳会談で金正日国防委員長(朝鮮労働党総書記)が拉致を認めるまで、北朝鮮に対して甘いところがありました。

 実際、そのころまでメディアの多くは北朝鮮の国名を「朝鮮民主主義人民共和国」とフル表記して異例のあつかいをしていました。

 まさに、思考停止の極みです。

 当時、日本の大勢は北朝鮮に対して及び腰のところがありました。背景には、朝鮮半島を統治した歴史への〝過剰な贖罪意識〟がありました。

 しかし、一方で80年代までの韓国軍政に対しては強硬的でした。その証左として、決して韓国を「大韓民国」と呼ぶ者はほとんどいなかったのです。

 今なら考えられませんが、そのころ日本人は北朝鮮に優しく韓国に厳しかったということです。

 こうした姿勢は、北朝鮮など社会主義体制に対して〝強い幻想〟が残っていたことも影響していました。その姿勢が政党で顕著だったのは、近く分裂する社民党の前身である社会党でした。

 当時、社会主義国の東欧をルポした社会党の党内左派は「社会主義国家にはハエがいない」と評していたのです。

 社会党は朝鮮労働党と「唯一の友党」だと標榜し、めぐみさん拉致疑惑を否定する党機関紙の論文を拉致が事実だと判明した後も直ぐには取り消していません。

 資本主義の否定から生まれた社会主義は絶対で、北朝鮮は〝地上の楽園〟であるとの喧伝を信じる勢力が社会党には多くいたのです。

 市民運動家でもあった作家の小田実さんは訪朝して金日成主席と会談し、「朝鮮の革命の根本原理である主体思想を私も偉大な思想であると考える」と称賛しています。

 その3か月後、めぐみさんは北朝鮮に拉致されています。

 拓也さんは講演会で、こう主張しています。

「拉致問題はイデオロギーに関係なく取り組むべき重大な人権侵害事件です」

 イデオロギーは「観念形態」とも訳されますが、ときには事実をも見えなくしてしまうのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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