邪の霊怪を封じ込める
江戸後期の天保年間、当時の医者が「琉球風」と呼ばれたインフルエンザについて、その流行の早さと広がりの大きさに驚いている記録が残っています。
「わずか二か月に満たずして衆人同病にかからざるはなし。邪もまた霊怪なるかな」
当時、上方で流行した20日後には江戸でも感染が広がったといいます。さらに、江戸から今の青森県までは約40日で感染が広がっています。
計算上では江戸・上方間の伝染速度が江戸・青森間の約1・5倍になっていますが、前者の交通量が格段に多かったためでしょう。
主に人の足しか移動手段がなかった時代に、列島をたちまち席巻して医者を震撼させた「琉球風」の広がりだったのです。
今見舞われているコロナ禍は、列島全体が身構えなければならない〝第3波〟とされています。
北海道を初めとして各地で新規感染者数の〝過去最多〟が次々に報じられ、11月18日は東京でも8月の第2波の記録を超える1日493人の感染が伝えられています。
この〝第3波〟の特徴は、高齢者の感染や重症化する患者が多いということです。
こうした状況を迎えて、地方からは手薄な医療態勢への不安の声が聞こえてきます。コロナ禍による重症者の増加が冬に多い他の致命的疾患の治療をもマヒさせかねないからです。
天保の医者が「邪の霊怪」と書き記した正体は、実は人の動きや振る舞いだったのです。
米欧では医療の逼迫が伝えられるコロナ禍の感染拡大ですが、その轍を踏まないことを肝に銘じて生活していく必要があるでしょう。
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