階層の分断化が進むニッポン
ネットで、「上級国民」という言葉が〝流行語〟になったことがあります。
日本国憲法には、「国民は法の下に平等」と書かれています。しかし、現実的にはそれをネットに書き込んだ人たち間に階層が「上下」に厳然と分けられているといった思いが渦巻いていたのでしょう。
「上級国民」という言葉がネットで飛び交ったのは昨年4月、東京・池袋でクルマの暴走事故が起こった後のことです。
母子2人の命を奪った元高級官僚に対して、その言葉が頻繁に使われたのです。
この言葉を使っている国民の怒りは、加害者のエリート臭のする暮らしぶりに向けられたものではありません。
ネットのその言葉を書き込んだ人たちの怒りの矛先は「事故を起こしても逮捕されない、人生で転落しない〝特権や裏のルート〟がある」といった疑念や妄想に向けられ、その代表者と思われる加害者への反感となって火が点いたのでしょう。
平成の30年間で中間層は上下の階層に幅が広がり、分断社会と言われる現在、その上下の間での移動も交流も減っています。
しかし、下層から上層を見る眼差しが、これほど批判的な熱を帯びるのはめずらしい事態だったのです。
というのも、上下の〝分断線〟を越えておたがいを見る視線には、「上から目線」は冷ややかなのに「下から目線」は温かいという傾向があったからです。
その傾向が終わりを告げ、経済の停滞で社会的地位の上昇が難しくなっています。
実際、たとえば大卒の親の子は大卒に、非大卒の親の子は非大卒になるといった世代間の学歴再生産の傾向がますます強くなっています。
つまり、ざっと若者の3人に2人は親と同じ学歴に〝固定〟されているのです。
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