リンカーンがいない米国大統領選


 1960年の米大統領選の初のテレビ討論で、若き民主党のケネディ候補の前で疲れた表情を晒して苦杯を舐めた共和党のニクソン候補は、こう述べています。

「テレビの前では、指導者の資質はあってもスターの資質がない者は必ず失格する。その結果、われわれはリンカーンたるべき人物を失いそうになっている」

 確かに、リンカーンは風采の上がらない人物だったといいます。

 この時、ラジオで声だけを聞いていた人が「ニクソン優勢」と感じたという話は有名です。

 20年前のテレビ討論では、民主党のゴア候補が共和党のブッシュ候補を圧倒しています。しかし、ゴア候補の相手を見下す態度が有権者の反感を買ってしまいます。

 つまり、討論の勝利が直ちに選挙の勝利をもたらすわけではなく、テレビ討論のキーワードは〝好感度〟なのです。

 トランプ大統領とバイデン候補の初の直接対決となったテレビ討論では、相手の話に割り込んで司会者ともやり合うトランプ候補と非難の泥仕合を避けてカメラ目線で自説を語るバイデン候補が映し出されています。

 これを見てトランプ候補支持派は論敵に目も向けぬバイデン氏を〝弱い〟と映ったでしょうし、バイデン候補支持派はトランプ氏の余裕のない多弁に〝焦り〟を見たことでしょう。

 ただ、肝心の論議はさっぱりかみ合わず、お互いに相手を追い詰められなかった90分だったことは確かです。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

0コメント

  • 1000 / 1000