政治の判断が国民の命を左右する


 日本初の大規模な検疫は1895年(明治28年)、日清戦争の終結後に艦船で帰国した兵員に陸軍が実施しています。  

 作業を統率したのは、当時37歳の後藤新平です。後藤は関東大震災の際、東京復興を指揮したことでも知られていますが、もともと医学校を出た官僚です。  

 コロナ禍が猛威を振るう今、その取り組みが改めて注目されています。  

 後藤は、衛生は国家の責任だと考えていました。予算も規模も破格の検疫を主張し、広島市沖の似島(にのしま)など3か所に検疫所を突貫工事で設けています。  

 そこで約23万人の検疫を行い、コレラなどの感染防止に成果を上げています。  

 その後、似島は広島に原爆が投下された際に検疫施設が救護病院となり、被爆者約1万人が運びこまれています。  

 そこで多くの市民が息絶え、悲劇の地として歴史に刻まれています。  

 コロナ過は今、新たな局面を迎えています。後藤の奮闘から125年が経ち、政治や行政の判断が国民一人ひとりの命を左右するという重みを改めて思います。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

0コメント

  • 1000 / 1000