成熟社会に必要な柔らかい個人主義

 

 劇作家で、幅広いジャンルでの評論活動でも知られた文化勲章受章者で大阪大名誉教授の山崎正和さんが8月19日、悪性中皮腫のためお亡くなりになりました。   

 ところで、予言は昔から演劇の重要なモチーフとなってきました。  

 山崎さんは、アポロンの予言に翻弄されたオイディプス王の救済を描く詩劇「オイディプス昇天」を書いています。  

 若くして戯曲「世阿弥」で岸田国士戯曲賞を受賞し、1983年には「中央公論」に「新しい個人主義の予兆」という評論を掲載しています。  

 この評論で使われた「柔らかい個人主義」という用語は、のちに時代のキーワードとなっています。  

 当時、みんなが一丸となって高度成長の坂道を駆け上がってきた時代が終わりを迎えたころでした。  

 山崎さんは、そのころ人々の企業や国家、家庭への帰属意識が薄れ、消費社会を背景にした人と人の様々な触れ合いをベースにした〝新しい個人〟が生まれつつあると説いたのです。  

 それは、ひとつの役割に縛られた過去の産業社会の個人とは違っていました。  

 むしろ人々の消費行動の多様化、新たな趣味の形成、それらの多彩なかかわりのなかで自己表現する柔らかな個人を指していたのです。  

 まさに、脱産業社会の文化の予言でもあったといえるでしょう。  

 その後、山崎さんは阪神大震災で現れた市民ボランティアに自らが予見した柔らかい個人主義の実現を見ることになります。  

 一方で、個人主義と対極的な嫉妬などの劣情に根ざしたポピュリズム政治の風潮を批判することにもなっていきました。  

 論議を呼んだ「禁煙ファシズム批判」も、個の抑圧への激しい闘志の表れだったのでし ょう。  

 山崎さんが掲げた予言は実現したのか、それとも裏切られたのかのでしょうか。 

「柔らかい個人主義」という未完のテーマを残し、劇作家は旅立っています。

 享年86歳でした。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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